日記
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四月に入っていた・・・。どんだけ日記を放置しているのだろうわたしは。
ふと、とある繁華街近くのでかい公園を歩いたときに話したことを考えた。
そこの公園では打楽器を叩いている人がいて、灰色の中学時代、私も打楽器をやっていたことから
なつかしく、灰色時代だったけど楽器を叩くのは嫌いじゃなかった、と友人に話した。
そこで交した会話で、私は強さについて考えた
友人は、私のことを物事を違う方面から見られるのは強さだ、といってくれたけど
それを聞いて、私は違う、と思ったんだ。
「楽器を叩くのは嫌いじゃなかった」
そう思ったのは今の私であって昔の自分じゃない
昔は楽器を見るだけで吐き気を催すぐらい嫌いだったんだ
過去のことはだんだんと美化されていく
それは大人になる、ということなのかもしれないけど
大人になるために強くなっているのかもしれないけど
それでもわたしは昔のリアルタイムで辛かったことを忘れずに
もち続けて、痛みから目を逸らさない人を強いと思う。
「あのときが本当は辛くなかった」
というのは昔の自分に失礼だと思う
もちろんそんな意味合いで言ったわけではないけど
このままだと子どもだったころの気持ちとかを忘れていくんだろうなと思うから
大切なことはまたしっかりと抱え直していきたいと思う。
ふと、とある繁華街近くのでかい公園を歩いたときに話したことを考えた。
そこの公園では打楽器を叩いている人がいて、灰色の中学時代、私も打楽器をやっていたことから
なつかしく、灰色時代だったけど楽器を叩くのは嫌いじゃなかった、と友人に話した。
そこで交した会話で、私は強さについて考えた
友人は、私のことを物事を違う方面から見られるのは強さだ、といってくれたけど
それを聞いて、私は違う、と思ったんだ。
「楽器を叩くのは嫌いじゃなかった」
そう思ったのは今の私であって昔の自分じゃない
昔は楽器を見るだけで吐き気を催すぐらい嫌いだったんだ
過去のことはだんだんと美化されていく
それは大人になる、ということなのかもしれないけど
大人になるために強くなっているのかもしれないけど
それでもわたしは昔のリアルタイムで辛かったことを忘れずに
もち続けて、痛みから目を逸らさない人を強いと思う。
「あのときが本当は辛くなかった」
というのは昔の自分に失礼だと思う
もちろんそんな意味合いで言ったわけではないけど
このままだと子どもだったころの気持ちとかを忘れていくんだろうなと思うから
大切なことはまたしっかりと抱え直していきたいと思う。
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